【Q】七種泰史
いろいろな意見が出ましたが、FONT1000グループが、今後、外部にしていかなくてはならないことは?

【A】棚瀬伸司
作り手が本当に作りたいものを作れる場、発表できる場がFONT1000であることを知らしめていくべきでしょう。

【A】奥村昭夫
私はFONT1000グループからおい出されないようにしていかなくてはならない。

【A】山田正彦
30年ほど前、新聞広告に見つけた「レタリング」という響きに興味がわき、さっそく通信講座に申し込み、ワクワクした気分で課題をやったことをおぼえています。当時中学生でしたが、それがデザイナーの道へ進むきっかけとなったような気がします。
 今は「文字術」「タイプフェイスデザイン」「タイポグラフィ」という響きに興味を持ってもらい、「FONT1000」に参加してもらうことから、21世紀を担う「レタリングデザイナー」が出現することを楽しみに願っています。

【A】伊勢谷浩
2年に一度位のペースで続けてゆけたら良いと思っています。またFONT1000が、FONT1500でも2000でも、文字数を増やすのも有りかな? と思うけど。まぁ今回出したら、何らかの反響があると思うので、それに対処してゆけたら良いよね。とりあえず続けてゆく事が大切だと思う。

【A】神田友美
タイプフェイスに携わる人が集まって意見をかわし、発表する。フォント集でこれほど作り手の顔を見ることができるのは他にないのではないでしょうか。出来ることはたくさんあると思います。今回の反響が楽しみです。

【A】長谷川眞策
書体づくりに興味を持つ若者には、最低限の基礎を提供すべきかな?昔と違って「黙ってオレについて来い!」という環境がないのがかわいそうです。FONT1000に関わることで、自分の書体が自分のパソコンで打てる快感を得ることと、そして外部に楽しい書体を提供できれば言うこと無いです。

【A】西田一成
発売されたフォントは、グループ内でデザインチェックをしている訳ではないので、完成度のばらつきが出ます。FONT1000グループが「作家集団」なら、作品に一定のレベルを保つ必要が出るかも知れません。展覧会や作品集を通してグループの存在と、書体の存在を知ってもらう工夫をすべきでしょう。フォントが無料でないだけに。

【A】土屋淳
対象をプロに限らず、一般ユーザーなど幅広く捉えて、文字に対する意識を高めたい。そのために、企画展や出版、シンポジウム、ネット上の一般参加型掲示板・会議等…の実施があげられると思います。

【A】味岡伸太郎
FONT1000という、常識を外れた文字数のフォント制作を発想させた、とても正直な思いから書こうと思います。
 FONT1000の最大の特徴、あるいは弱点は、そこに含まれる漢字数が1,000であることです。そのため、文章を組版する時には必ず不足文字が出ます。その場合には合字して補う必要があります。そのような一面不便なフォントの制作を企画をしたのは、そこには良い、あるいは面白い文字を使う楽しさと同時に、文字を作る楽しさも、大変さも理解して欲しいという思いがあります。しかし、それが分かる人だけに使ってもらいたいという、少し(大きな)わがままな気持ちも含まれていたことは否めません。
 現状のTrueTYPEフォントはプロテクトが難しく、コピーが簡単に出来てしまいます。一つには、その予防の意味も1,000文字にあります。便利すぎる文字数では、おそらく不法なコピーを横行させます。しかし、不法なコピーの予防の意味だけに止まらず、FONT1000の不便さはユーザーに積極的にフォントの内側に入って頂くための不便さでもあります。
 FONT1000は次回から、1,000字だけではなく、2,000字、あるいは仮名、アルファベットのみのセットも募集して、総合的なフォントデザイナーグループに成長させたいと思います。FONT1000が成長するためには、人材の確保、あるいはフォントデザインへのギャランティに直接関係する、知的所有権の問題をユーザーに知って頂く必要があります。
 第一歩として、フォントデザインの面白さ、楽しさ、そしてそれを使う時のマナーなどをFONT1000のフォントとカタログで啓蒙するという、その計画は予定より遅れましたがとにかくスタートしました。
 FONT1000の企画が新しいフォントを市場に提案できる「場」であることはすでに明らかです。それは、この企画に25名の参加があったこと、つまり、全くのオ
リジナルのフォントが25書体も一度に発表されることは、制作に厖大な時間のかかる、日本のフォントデザインの歴史では初めての出来事なのです。
 このことは、重要な意味を持っています。つまり、一度もフォントデザインをしたことのない学生から、篠原さんのような大御所までもがコンピュータの元で平等にフォントデザインと、発表ができる環境がまがりなりにも整ったことを意味しています。それは、コンピュータさえあれば全ての人が「マイフォント」が持てる時代の到来を意味しています。文字数の多かった日本ではタイプライタの普及は欧米のようには進まなかったのですが、コンピュータの普及で誰でも「活字」でプレゼンテーションができることとなりました。人の欲望は果てしないものです。「活字」の次は必ず「マイフォント」の時代がやってきます。それは「フォントデザインが終わり、初めてキーボードで打つとそのままモニターに現れた時の感動は素晴らしい」とFONT1000のメンバーの多くが口々に語ることからも明らかです。この感動は、おそらくさらに多くの人々の共感を得ることができる筈です。
 それは例えば、つぎのような形で、それぞれのペン書き文字をフォント化して手紙などに使用するというのはどうでしょうか。自身でフォント化が難しければ、それを代行するビジネスだって考えられます。今回の奥村さんの制作されたフォント「手紙」はそのことを先行して始めたものだと思います。奥村さんの仕事に一貫する発想に我々が共感できるのは、常に視点が時代の人の心の中にあり、それを躊躇なく実行するところにあると思うのです。
 少し大袈裟に言いますと、全ての人が自作のフォントを制作し販売する環境をFONT1000は獲得したのです。このようにして作られたフォントはFONT1000を通して世の中に出ていくことになります。やがて、その中から誰からも愛され、使用される「フォント」が生まれることとなります。
 従来のフォント開発はベンダーがリスクを負担してきました。そのため、フォントデザイナーは必ずしもその思い通りのフォント制作をしてきたわけではありません。
膨大な経費のかかるフォント制作にはいきおい汎用性が求められます。営業的な理由でオリジナル性では不本意なフォントデザインも発表されています。
 FONT1000はリスクをデザイナー自らが負担します。デザイナーの負担は以前に比較すると格段に大きなものになります。その変わりに「自由とそれに見合う報酬」が約束されなければなりません。自由は一応獲得できました。残るのは報酬ですが、これは中々難しい。日本タイポグラフィ協会のメンバーですら、フォントやソフトを不法にコピーして使用している恥ずかしいデザイナーが存在しているのが実情です。
 「自由とそれに見合う報酬」はフォントデザインが成立するために不可欠の両輪です。そのために、「フォントを使用して利益を得ているのだから、それに対して対価を支払うのは義務である」というモラルを高める活動をこれまで以上に進めなければならない。
 過渡期としては、これまで以上に効果的で使いよいプロテクトの開発も必要です。これも中々難しい、使いよいこととプロテクトは常に相反するものだからです。現状行われているプロテクトは当然何等かの不便さをユーザーに強いるものです。モラルが高まればプロテクトは必要なく、それが望ましいのはもちろんです。