【Q】七種泰史
はじめに、FONT1000の発足のきっかけ、意義、1,000文字にしぼったことについてお聞かせください。

【A】味岡伸太郎
■メディアのためのタイプフェイスではない
コンピュータの今日の普及が想像も出来なかった昭和35年、国語改革論議が盛んであった頃、福田恆存氏は「私の国語教室」で『…タイプライターのためなどとは愚論です。なるほど過渡的には商用文にかな文字やローマ字を用ゐることもいいでせう。が、月までロケットが届く時代です。軍拡競争が少し下火になれば、今日の漢字かな文でも十分に消化しうる機械が発明されないとは限りません。現に、当用漢字数を上廻る二千字の漢字が操れる機械が出来てゐるさうです。鉄道線路に狭軌を採用して失敗したのと同様で、慌てて現在の道具に合わせて国語国字を改造する手はないのです。時枝博士ではないが、「文字を使ふといふことは、機械に制限されて使ふのではなくて、機械がもし必要ならば、その文字の実情に応じて、新しい機械を発明するといふことが必要であります。」(中略)気を確かにもつてください。タイプライターのための文字か、文字のためのタイプライターか、…』と書いている。
 タイプフェイスは時代のメディアの変化の度にその弱点を補う作業を要求されてきた。その度に文字はゆがめられ、固有の形から離れることを余儀なくされてきた。福田氏の最後の言葉は今だ生きている。そして、現在福田氏の話の中にでたワードプロセッサの普及は驚くほど普及している。
 タイプフェイスはそのメディアに対応することが常に要求されてきた。経済性において最良の方法であったとして、果たして日本の文字の伝統にとっては正しい選択であっただろうか、いささか疑問である。タイプフェイスは常に時代のメディアに対して忠実な僕であった。果たして新書体の発表は、その問題に真正面から取り組んでいたであろうか。勿論、ハードとソフトは両輪である。どちらが優位の問題ではない。しかし、過渡期にはその経済性の機能が優先されようとも、文字の複製が最終の目的である以上、文字にハードが追いついて頂きたいと思うのはタイプフェイスデザイナーの思い上がりではないだろう。
■JISとフォント制作
当用漢字の告示により昭和21年に制定された1,850字、それだけでは不十分なため昭和56年の常用漢字表では95字を追加し、1,945字となった。それとは別に、法務省では戸籍法施行規則として人名用漢字166字を定めた。そして通産省でのJIS規格では6,355字の漢字を定めている。さらに通産省により設立された文字フォント開発・普及センターでは明朝体の追加分5,801文字が開発されている。それに非漢字を合わせた12,999文字が新たな規定となっている。このようにあってなきがごとく規定、常にゆれ動く字数のため、日本のタイプフェイスにはフォントの概念は定着しにくい。もともとフォントとは欧文活字の同一書体で同一の大きさで、アルファベット、および数字、記述記号などの文字1セットをフォントという。そのためフォントの構成には字数の確定が不可欠の条件である。ちなみに写真植字では文字盤に収容された文字種は各社ごとでは統一されているが、最も多く使われるメインプレートについてだけでも各社間では収容字数、字種とも統一されてはいない。
 「仮名」などは文字数が固定しているが、漢字をふくめた文字総数となると確定が難しい。しかし、先のJIS規格による情報交換用漢字符号系の制定では、漢字、仮名、アルファベット、数字、記号などの基準が示された。JIS 規格の情報交換用漢字符号系はある意味で日本の公式規格である為、フォントの制作はこれにそって制作が進められている。
■不毛な字数論争
JIS X 0208の6,932字では不足でJIS X 0212の12,999字ならば十分なのか、コンピュータで使う文字数の論議は最近活発である。しかし、その多くは論点がかみあっていないように思える。コンピュータは言語を使う為の道具である。言語を完全に使えてこそ道具の使命を全うできる。全ての文字を使える環境を作らなければならないのは当り前である。つまりどれ程多くなろうとも文字コードだけは全ての文字にあたえる必要がある。ユニコードでも全く不十分である。しかし、そのことと、それぞれのコンピュータ、それぞれのフォントセットが採用する文字数とは別の次元の問題である。その文字数はそれぞれの目的に合わせて自由に選択すれば良いのである。
 フォントデザイナーの立場から、また、実際に使われているほとんどの文章から考えて見れば、6,932字でも多すぎる。いわんや12,999字となると論外である。この文字数、この規格はそもそも何を目的としているのか、なにを根拠としているのか、それが不明確なのが混乱の原因なのである。
 「康煕字典」や「大漢和辞典」を作るとなるとJIS X 0212では少すぎる。しかし三省堂の「大辞林」で使われている漢字は6,756字である。大辞林以上の言葉が一般的にもまた専門的にも使われているとは考えがたい、通常の使用であればこれよりはるかに少ない漢字で十分である。
 JISの規格が発表されれば、それに従ってフォントが制作されなければならないという状況ができ上がってしまう体質に問題がある。デザインする時にしか見たことのない文字。読むことすらできない文字。どのように使うか分からない文字が多く含まれている。そんな文字のデザインにデザイナーが力を出せるわけがない。
■ふさわしい文字数とは
フォントにはそのフォントの使用目的に応じた、ふさわしい文字数が自ずと存在する。全てのフォントがJISによって制作する必要はない。写植の時代でもはるかに少ない文字数で対応して来た。
 活字・写植の時代には、活字や印字したものを切り貼りして不足な文字を作ってきた。その時代は、文字を扱うのはプロだけだったが、DTPの時代には経験のない多くの人が文字を扱うことになった為に、合字の知識がない人にも合字のできるソフトがあれば必要以上の文字種をデザインする必要もなくなる。
 つい最近私は対談集を出版した。その時、対談相手の名字の一字がJISにはなく、合字し修正したものをフォントグラファでフォント化して印字した。
 さらに進めて、フォントそのものにその合字及びフォント制作のソフトを組み込んで販売したらどうだろう。それならば、常用漢字+アルファの2,000字台の制作数で通常の用途ではほぼ問題はない。2,000字程度の制作で良いのならば、今までは7,000字に尻込みしていた、若い、優秀なデザイナーの参画も期待できる。ディスプレイタイプのタイプフェイスならばさらに少なく、1,000字でも問題はない筈である。結果的に良質で安価なフォントが供給できることになる筈である。
 ここでは、誤解されてはならないのは、全てのタイプフェイスを1,000字や2,000字程度のデザインで終わらそうと考えてはいないことである。それぞれのタイプフェイスには、その用途によって必然的な文字数があると言っているのである。全て、JIS X0208が揃っていなければ、用をなさないと考える、枠にはまった考えを問題にしたいだけなのである。しかし、現実にはJIS X 0208の文字数以下のフォントは発表も発売も難しいだろう。JIS X 0208の文字数は、必要ないと断言できるディスプレイタイプのフォントもその規格でデザインされている。もう少し運用や対応に柔軟性があってもいい。
 写植の時代から、タイプフェイスはその印字・組み版するハードに従属することを余技なくされてきた。その最も大きな理由は、タイプフェイスのみでビジネスとして成立しえないという、日本のタイプフェイスデザインの現実がある。何回も言ってきた、漢字の文字数の多さがその開発を経済的にさまたげているのである。7,000字の文字数をデザインする為には、通常、一人のデザイナーで2〜3年の時間が必要となる。この時間は実際の作業時間であって構想の時間は含まれない。ローマンアルファベットならば、構想がまとまれば、後は一週間もあれば通常充分である。これ程、アルファベットと比べて制作時間が違うのに、欧米と同じ方法で日本語のタイプフェイスデザインを考えることには、常に疑問が残る。世界でも特殊な日本語のタイプフェイス制作には日本語独特の方法で対応すべきである。
■FONT1000について
1998年の秋、日本のタイポグラフィ協会の出版委員と有志の数名とで、1999年のタイポグラフィ年鑑の特集「神々の里のタイポグラフィ」の取材に愛知県東部の山間の地、東栄町に出掛けた。その取材は愛知県北設楽地方に伝わる「花祭り」で使われる「切り草」と呼ばれる切り紙と舞いの衣裳のデザインである。詳しくは1999年の年鑑あるいはその後出版した「神々の里の形」を見て頂きたい。
 寒い寒い山間の山小屋で一夜を過ごした我々は、寒さで中々寝つかれず、酒を飲みながら祭りの事、タイポグラフィの事に話の「花」を咲かせた。
 FONT1000の企画はその話の中から生まれてきた。700年も800年も前の祭りの取材の中でコンピュータ時代の話が始まったのも、私達の求めるデザインが伝統を抜きにしては考えられないことを示しているようで、その事も嬉しい。私は常々考えていた日本のタイプフェイスデザインのあり方について、仲間達に相談した。その中からFONT1000の提案は大方の賛意が得られた、それでも酒の席でもあるし、異次元の世界での突然の話題なので、山を降り、ほとぼりのさめた頃、改めて確認し、企画は動き出した。寒中山間会議の出席者の内、第一次のFONT1000の参加者は、桑原孝之、七種泰史、成澤正信、山田正彦氏、そして私味岡伸太郎である。その後賛同者は増え、25名となった。
 私にはその賛同者数に、正直言って驚きがある。フォントの制作は実に大変な仕事である。1日10文字デザインするとすれば1,000字デザインするのに100日が必要となる。およそ3カ月かかる。先の見えないこの企画に25名をこす参加者がいたことは大変心強く、フォントデザインの未来への希望を持たせてくれる。
 以下がプロジェクトの呼びかけ文となったFONT 1000の主旨である。「フォント制作はJISの約7,000字が基準となっています。しかし、全てのフォントに7,000字が必要なのでしょうか。その中の多くの文字をフォントデザイナーは使用されたものを見ることは無いでしょう。写植の時代でもそれよりもはるかに少ない文字数でした。「本当に必要な文字数とは」そんな素朴な疑問からFONT1000は生まれました。FONT1000は日本文を組むに最低の漢字1,000字を選定し、さまざまなフォント制作にチャレンジしようとするものです。FONT1000の文字種は、新聞社、出版社、国語研究所等の使用頻度表から選んだ、ベスト1,000の漢字に両仮名および約物を加えたものです。この文字数で日本の文章の90%以上を組むことが可能です。不足文字はアウトラインを作成し、合字することで、ほぼ全ての日本文を組み版することができます。近い将来にFONT1000の中から、十分な文字を揃えた、日本を代表する書体も生み出されることでしょう。」

資料「利用分野別の漢字の使用頻度表」参照